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《第5話》 私は、守られた場所から人生を始めた

《第5話》 私は、守られた場所から人生を始めた

私は、長崎県松浦市で生まれました。 ただ、覚えているのは、「最初から、守られていた」という感覚です。 実家は旅館を営んでいました。人の集まりがあり、大人の会話があり、日常の中に、いつも誰かの気配がある家でした。 私は長男、初孫でした。 それだけで、理由は十分だったのだと思います。 多くを期待されるというより、多くを与えられて育った。 叱責なかったわけではありません。障害がなかったわけでもありません。 ただ、「ここにいていい」そう言われているような空気の中で、子ども時代を過ごしました。 旅館という場所は、家庭であり、同時に仕事場でもありました。 お客さんと話す大人の姿。 ふと、立ち歩いて背中。誰かのために動くことが、当たり前の空間。 今考えれば、この環境が、私の価値観の原型だったのかもしれません。 人が集まる場所。人を迎える空間。誰かの時間を預かる仕事。 それが特別だとは思っていませんでした。ただ、そういうものだと思っていました。 長男として、初孫として、可愛がられて育った私は、同時に、少しだけ無存在でした。 守られていることを、守られていると考えないまま。 この感覚は、後に「自分はなんとかできる」という根拠のない自信につながっていきます。 それが強かった時もあれば、判断を誤らせた時もありました。 この頃の私は、まだ何も知りません。 経営も、責任も、当然ということも。 ただ、人に囲まれ、場所に守られ、当たり前のように日々を過ごしていました。 次は、その「当たり前」が少しずつ外の世界と出会い始める話です。

《第5話》 私は、守られた場所から人生を始めた

私は、長崎県松浦市で生まれました。 ただ、覚えているのは、「最初から、守られていた」という感覚です。 実家は旅館を営んでいました。人の集まりがあり、大人の会話があり、日常の中に、いつも誰かの気配がある家でした。 私は長男、初孫でした。 それだけで、理由は十分だったのだと思います。 多くを期待されるというより、多くを与えられて育った。 叱責なかったわけではありません。障害がなかったわけでもありません。 ただ、「ここにいていい」そう言われているような空気の中で、子ども時代を過ごしました。 旅館という場所は、家庭であり、同時に仕事場でもありました。 お客さんと話す大人の姿。 ふと、立ち歩いて背中。誰かのために動くことが、当たり前の空間。 今考えれば、この環境が、私の価値観の原型だったのかもしれません。 人が集まる場所。人を迎える空間。誰かの時間を預かる仕事。 それが特別だとは思っていませんでした。ただ、そういうものだと思っていました。 長男として、初孫として、可愛がられて育った私は、同時に、少しだけ無存在でした。 守られていることを、守られていると考えないまま。 この感覚は、後に「自分はなんとかできる」という根拠のない自信につながっていきます。 それが強かった時もあれば、判断を誤らせた時もありました。 この頃の私は、まだ何も知りません。 経営も、責任も、当然ということも。 ただ、人に囲まれ、場所に守られ、当たり前のように日々を過ごしていました。 次は、その「当たり前」が少しずつ外の世界と出会い始める話です。

《第4話 》それでも朝は来る。精神が安定しなかった日々

《第4話 》それでも朝は来る。精神が安定しなかった日々

それでも、朝は来ます。 どんな夜を過ごしても、目を閉じたままでも、外は明るくなっている。 福岡での生活が始まってから、私の精神状態は、決して安定していませんでした。 理由ははっきりしています。失ったものの大きさに、心が追いついていなかった。 昨日と同じ一日を過ごしているはずなのに、心の中では、常に揺れていました。 何もしていないのに、落ち着かない。理由もなく、胸の奥がざわつく。 集中しようとしても、考えが途中で途切れる。小さな音に、過剰に反応してしまう。 自分でも、「これはおかしいな」と思っていました。 でも、どうすればいいのかは分からない。 病名をつけたいわけでもなく、誰かに説明したいわけでもない。 ただ、自分が自分のままでいられていないその感覚だけが、はっきりとありました。 子どもたちの前では、できるだけ普通でいようとしました。 日常を壊さないこと。それが、父親としてできる最低限だと思っていたからです。 けれど、一人になると、気持ちは簡単に崩れました。 夜になると、考えなくていいことまで、次々と浮かんでくる。 何が悪かったのか。どこで間違えたのか。もう一度、やり直せるのか。 答えは出ないと分かっていても、思考は止まらない。 そんな時、なぜか、実家のことを思い出すことが増えました。 松浦の旅館。人の出入り。朝の音。台所の匂い。 特別な思い出ではありません。ただ、自分が説明されなくても存在できた場所。 子どもの頃、理由もなく守られていた空間。 精神が不安定になるほど、私は、その感覚を探していたのかもしれません。 戻りたい、というよりも、思い出せる場所が必要だった。 「自分は、どこから来たのか」それを、無意識に確認しようとしていた。 この頃の私は、まだ立ち直ろうとしていません。 前を向く準備も、できていなかった。 ただ、壊れきらないように、自分の中に残っている“原点”のようなものを探していました。 そしてその先に、避けてきた実家の時間が、再び浮かび上がってくることになります。

《第4話 》それでも朝は来る。精神が安定しなかった日々

それでも、朝は来ます。 どんな夜を過ごしても、目を閉じたままでも、外は明るくなっている。 福岡での生活が始まってから、私の精神状態は、決して安定していませんでした。 理由ははっきりしています。失ったものの大きさに、心が追いついていなかった。 昨日と同じ一日を過ごしているはずなのに、心の中では、常に揺れていました。 何もしていないのに、落ち着かない。理由もなく、胸の奥がざわつく。 集中しようとしても、考えが途中で途切れる。小さな音に、過剰に反応してしまう。 自分でも、「これはおかしいな」と思っていました。 でも、どうすればいいのかは分からない。 病名をつけたいわけでもなく、誰かに説明したいわけでもない。 ただ、自分が自分のままでいられていないその感覚だけが、はっきりとありました。 子どもたちの前では、できるだけ普通でいようとしました。 日常を壊さないこと。それが、父親としてできる最低限だと思っていたからです。 けれど、一人になると、気持ちは簡単に崩れました。 夜になると、考えなくていいことまで、次々と浮かんでくる。 何が悪かったのか。どこで間違えたのか。もう一度、やり直せるのか。 答えは出ないと分かっていても、思考は止まらない。 そんな時、なぜか、実家のことを思い出すことが増えました。 松浦の旅館。人の出入り。朝の音。台所の匂い。 特別な思い出ではありません。ただ、自分が説明されなくても存在できた場所。 子どもの頃、理由もなく守られていた空間。 精神が不安定になるほど、私は、その感覚を探していたのかもしれません。 戻りたい、というよりも、思い出せる場所が必要だった。 「自分は、どこから来たのか」それを、無意識に確認しようとしていた。 この頃の私は、まだ立ち直ろうとしていません。 前を向く準備も、できていなかった。 ただ、壊れきらないように、自分の中に残っている“原点”のようなものを探していました。 そしてその先に、避けてきた実家の時間が、再び浮かび上がってくることになります。

《第3話》 子どもたちには見せなかった夜と、妻の泣き顔

《第3話》 子どもたちには見せなかった夜と、妻の泣き顔

福岡に来てからしばらくの間、私は、できるだけ普通に振る舞っていました。 子どもたちの前では、言葉を選び、声の調子を変え、余計な沈黙を作らないようにしていた。 彼らには、事情をすべて理解する必要はない。いや、理解させてはいけないと思っていました。 何を失ったのか。どこまで追い詰められていたのか。これからどうなるのか。 そういうものは、大人が背負えばいい。 子どもたちは、学校に行き、友だちと話し、日常を続けていればいい。 そう思っていました。 でも、夜になると、話は別でした。 子どもたちが眠ったあと、部屋の明かりを落とし、一日の終わりがやってくる。 その時間になると、私の中で、押さえていたものが静かに動き出す。 答えの出ない問い。取り返しのつかない判断。数字として積み上がる現実。 頭の中では、何度も同じ場面を繰り返していました。 もし、あの時。もし、あの判断をしていなければ。 どれだけ考えても、何も変わらないことは分かっているのに、止められなかった。 そんな夜、妻の泣き顔を、何度も見ました。 声を上げて泣くわけではありません。嗚咽をこらえ、静かに涙を流す。 子どもたちに聞こえないように。気づかれないように。 その姿は、今でもはっきり覚えています。 私は、言葉をかけることができませんでした。 慰める言葉も、希望を語る言葉も、どちらも、その時の自分には嘘になる気がした。 だから、ただ、そこにいました。 何もできず、何も言えず、同じ空間で、同じ時間を過ごす。 夫として、父親として、何も与えられない自分。 この感覚は、経営での失敗とは、まったく別の重さでした。 子どもたちは、その苦悩を知りません。 知らなくていいと思っています。 ただ、一人だけ、すべてを分かっていた人がいた。 それが、妻でした。 一緒に失い、一緒に移り、一緒に耐えていた。 あの時間がなければ、私は、今ここに立っていないと思います。...

《第3話》 子どもたちには見せなかった夜と、妻の泣き顔

福岡に来てからしばらくの間、私は、できるだけ普通に振る舞っていました。 子どもたちの前では、言葉を選び、声の調子を変え、余計な沈黙を作らないようにしていた。 彼らには、事情をすべて理解する必要はない。いや、理解させてはいけないと思っていました。 何を失ったのか。どこまで追い詰められていたのか。これからどうなるのか。 そういうものは、大人が背負えばいい。 子どもたちは、学校に行き、友だちと話し、日常を続けていればいい。 そう思っていました。 でも、夜になると、話は別でした。 子どもたちが眠ったあと、部屋の明かりを落とし、一日の終わりがやってくる。 その時間になると、私の中で、押さえていたものが静かに動き出す。 答えの出ない問い。取り返しのつかない判断。数字として積み上がる現実。 頭の中では、何度も同じ場面を繰り返していました。 もし、あの時。もし、あの判断をしていなければ。 どれだけ考えても、何も変わらないことは分かっているのに、止められなかった。 そんな夜、妻の泣き顔を、何度も見ました。 声を上げて泣くわけではありません。嗚咽をこらえ、静かに涙を流す。 子どもたちに聞こえないように。気づかれないように。 その姿は、今でもはっきり覚えています。 私は、言葉をかけることができませんでした。 慰める言葉も、希望を語る言葉も、どちらも、その時の自分には嘘になる気がした。 だから、ただ、そこにいました。 何もできず、何も言えず、同じ空間で、同じ時間を過ごす。 夫として、父親として、何も与えられない自分。 この感覚は、経営での失敗とは、まったく別の重さでした。 子どもたちは、その苦悩を知りません。 知らなくていいと思っています。 ただ、一人だけ、すべてを分かっていた人がいた。 それが、妻でした。 一緒に失い、一緒に移り、一緒に耐えていた。 あの時間がなければ、私は、今ここに立っていないと思います。...

《第2話》北九州で、すべてを失ったあとに残ったもの

《第2話》北九州で、すべてを失ったあとに残ったもの

北九州にあったものは、すべてなくなりました。 自宅も、車も、店舗も、不動産も。 長い時間をかけて積み上げてきたものが、一つずつではなく、一気に手を離れていったという感覚でした。 抵抗できなかったわけではありません。何もしなかったわけでもありません。 ただ、結果として、何一つ残らなかった。 その事実だけが、はっきりと残りました。 北九州という場所には、仕事の記憶も、判断の記憶も、誇りだった時間もありました。 同時に、失敗の痕跡も、後悔も、戻れない選択も詰まっていた。 だからこそ、そこに留まる理由は、もうありませんでした。 私たちは、福岡へ引っ越しました。 前向きな決断だったとは言えません。再スタートという言葉を使うには、あまりにも現実的でした。 ここを離れなければ、 前に進めない。 それだけの判断です。 引っ越し当初は、生活を整えることで精一杯でした。 段ボールの山。最低限の家具。見慣れない景色。 過去の話をすることも、未来の話をすることも、どちらもできない時間。 それでも、家族はそこにいました。 二人の息子がいて、同じ屋根の下で、同じ夜を過ごしていた。 何も持っていなくても、「一緒にいる」という事実だけは、失われていなかった。 北九州で失ったものは、目に見えるものばかりです。 信用も、肩書きも、立場も。 それらが剥がれ落ちたあとに、残ったのは、逃げられない現実と、家族だけでした。 この時、私はまだ、立ち直ろうとはしていません。 希望も、展望も、語れる状態ではなかった。 ただ、終わらせきれなかった。 終わらせてしまうには、背負っているものが、まだ残っていた。 福岡での生活は、そうして始まりました。 何かを始めるためではなく、終わらなかった人生を、 続けるために。 (写真は福岡に引っ越した初日の寝顔です)

《第2話》北九州で、すべてを失ったあとに残ったもの

北九州にあったものは、すべてなくなりました。 自宅も、車も、店舗も、不動産も。 長い時間をかけて積み上げてきたものが、一つずつではなく、一気に手を離れていったという感覚でした。 抵抗できなかったわけではありません。何もしなかったわけでもありません。 ただ、結果として、何一つ残らなかった。 その事実だけが、はっきりと残りました。 北九州という場所には、仕事の記憶も、判断の記憶も、誇りだった時間もありました。 同時に、失敗の痕跡も、後悔も、戻れない選択も詰まっていた。 だからこそ、そこに留まる理由は、もうありませんでした。 私たちは、福岡へ引っ越しました。 前向きな決断だったとは言えません。再スタートという言葉を使うには、あまりにも現実的でした。 ここを離れなければ、 前に進めない。 それだけの判断です。 引っ越し当初は、生活を整えることで精一杯でした。 段ボールの山。最低限の家具。見慣れない景色。 過去の話をすることも、未来の話をすることも、どちらもできない時間。 それでも、家族はそこにいました。 二人の息子がいて、同じ屋根の下で、同じ夜を過ごしていた。 何も持っていなくても、「一緒にいる」という事実だけは、失われていなかった。 北九州で失ったものは、目に見えるものばかりです。 信用も、肩書きも、立場も。 それらが剥がれ落ちたあとに、残ったのは、逃げられない現実と、家族だけでした。 この時、私はまだ、立ち直ろうとはしていません。 希望も、展望も、語れる状態ではなかった。 ただ、終わらせきれなかった。 終わらせてしまうには、背負っているものが、まだ残っていた。 福岡での生活は、そうして始まりました。 何かを始めるためではなく、終わらなかった人生を、 続けるために。 (写真は福岡に引っ越した初日の寝顔です)

《第1話》7億8千万の負債を抱えた日、私は「答え」を探すのをやめた

《第1話》7億8千万の負債を抱えた日、私は「答え」を探すのをやめた

私は30年近く、会社を経営してきました。順調な時期もあれば、思わない時期もありました。一応、山も谷もある経営人生です。 実は9年前に詐欺に遭いました。結果として、総額7億8千万という負債を抱え、会社は破産、倒産しました。 当時の私にとっては、毎日が「現実」でした。 何をどうすればいいのか。誰を信じればいいのか。まず、もう一度立ち上がる意味があるのか。 答えを探しました。でも、ある時、気づきました。 答えを探している限り、前には進まないと。 何か明確な解決策があったわけではありません。ただ、これ以上、自分を追い詰めるのをやめようと思いました。 立ち直ろうともしていませんでした。再起しようという言葉も、正直、空虚に感じていました。 一日だけを終えて、また一日を。

《第1話》7億8千万の負債を抱えた日、私は「答え」を探すのをやめた

私は30年近く、会社を経営してきました。順調な時期もあれば、思わない時期もありました。一応、山も谷もある経営人生です。 実は9年前に詐欺に遭いました。結果として、総額7億8千万という負債を抱え、会社は破産、倒産しました。 当時の私にとっては、毎日が「現実」でした。 何をどうすればいいのか。誰を信じればいいのか。まず、もう一度立ち上がる意味があるのか。 答えを探しました。でも、ある時、気づきました。 答えを探している限り、前には進まないと。 何か明確な解決策があったわけではありません。ただ、これ以上、自分を追い詰めるのをやめようと思いました。 立ち直ろうともしていませんでした。再起しようという言葉も、正直、空虚に感じていました。 一日だけを終えて、また一日を。